広島・長崎原爆投下による被害

広島・長崎への原爆投下は、1945年8月の計2発の投下により1945年末までに広島で約14万人、長崎で約7万人の犠牲者を出した。熱線、爆風、急性放射線障害により一瞬で街は壊滅し、数年後まで多くの人々が原爆症で亡くなった。現在も被爆者やその影響は続いている。

 

広島・長崎原爆の被害状況

 

広島(1945年8月6日)

約35万人の人口のうち、1945年末までに約14万人が死亡。爆心地から1.2km以内の約50%以上が即死または即日死したとされる。

 

長崎(1945年8月9日)

約24万人の人口のうち、1945年末までに約7万3,884人が死亡。約18,409戸の建物が被害(全焼・全壊)を受けた。 

 

主要な被害要因

 

熱 線: 爆心地周辺のすべてを焼き尽くし、2km以内でも衣類や樹木が発火・焦げた。

爆 風: 強烈な衝撃波により家屋が倒壊、人々をがれきの下敷きにした。

放射線: 初期放射線により、被爆から数日〜数週間で頭痛、脱毛、下痢、吐血などを引き起こし死亡。また、入市被爆(救護活動等)による被曝も深刻であった。

原爆症: 放射線の後遺症(白血病や癌など)に長期間苦しめられ、現在も健康被害が続いている。 爆心地周辺は完全に破壊され、軍司令部も壊滅するなど、都市そのものが全滅に近い打撃を受けた。 

8・6反核の夕べ

「核被害者に寄り添う」

 

広島大学名誉教授 元広大原医研所長 鎌田七男さんの講演録(2025/8/6)

 

鎌田七男さんは、放射線が人体に及ぼす影響、つまり白血病の染色体研究で世界的に有名です。また、原爆投下時に爆心地から500メートル圏内で奇跡的に生き残った78人の追跡調査を続けていることでも、知られています。

 2025年8月6日のHANWA国際対話集会では、鎌田さんが医師・研修者として、今まで被爆者に寄り添ってきた中での「思い」を熱く語ってくれました。貴重な講演録画です。

第一回原水爆禁止世界大会の被爆者の歴史的な訴え

1955年第一回原水爆禁止世界大会で3人の被爆者、広島の高橋明博さん、長崎の山口みさこさん、ビキニ水爆実験の犠牲者久保山愛吉の妻すずさん達が世界に向けて初めて発せられた訴えの音声がクリアに再現されています。当時発せられた被爆者の方々の言葉と会場の空気感がそのまま伝わる記録で、30年前の痛切な訴えに、改めて胸を打たれ原点に立ち返る思いです。アーカイブを制作にあたられたNHKのスタッフのみなさんに感謝いたします。(森滝春子)

 ビキニの核実験をきっかけに原水爆禁止運動が広がり、原爆投下から10年たった1955年8月6日、広島市で第1回原水爆禁止世界大会が開かれました。この大会の様子を伝えるニュースです。アメリカ、オーストリア、中国など11カ国50人の代表を含め5,000人が参加。大会では原水爆禁止を求める署名が日本で3,238万、世界で6億7,000万集まったと報告され、運動の中心組織として、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)が9月に発足しました。